多くの先生は、授業の終わりには、正解をたくさん出して帰らせたいと思います。間違いを発見したら、そこをたくさん解いてたくさん正解になれば、満足して家に返すことが出来る。先生が気にするところは、正解しているか、不正解であるかでしょう。
先生が「問題に正解すること」を目的とすると、出来なかったところを何度も、出来るまでやらせて、全部正解にすることが出来れば、先生は自己満足します。一つのとても偏った方向から強烈な訓練を積むことで、そのことは、一見正解することが出来ます。しかしほとんどの場合、それは「自分の思い通りにやらせたい」という欲望によって、相手の思考を固めてしまっていることには気づきません。
法則に気づくためには、あらゆる方向から観察する時間が必要です。一方向から考えたときには、出来ているかのように見えることも、方向を変えたら、不可思議な動きをするのは、法則に気づいていないからです。正しいか、間違いかにこだわっていると、相手の状況を、感じることが出来ないからです。
その時だけ正解をたくさん出すことの方が、法則に気づくことより、簡単です。全部説明して、相手が自分で考えることを奪ってしまえば、その場で正解します。先生が必死でやり方を説明しているそばで、まったく考えていない生徒が、ぼんやり聞いている様子をよく見かけます。
先生はその子が、とても従順に話を聞いていると信じています。答えは正解にして返します。ほとんどは先生が正解に誘導していて、本人は考えていないのです。「良い答えを出さなければいけない」という強迫観念のなかで、頭脳は使っていないのに、正解を出すことに、必死になります。
自分の意志で考えることを放棄すると「たすの?ひくの?」と聞いてみたり、先生の顔色をみて、正解を得ようとしたりします。そのような無駄な時間を大量に使って、結局、その時は一部の問題を解けるようになっても、時間が経つとまったく出来なくなってしまいます。そうして何度も基本問題に戻し、揚句は、簡単な問題だけでも出来てくれればいいという、半ば神頼みのような状況を作り出し、「来週もどうせまた、この状況だろう」という、諦めの予測を立てて授業をします。子供たちに、何の期待感も持たず、出来なければ「忘れてしまった」とか「理解できていない」とか言います。
先生が、正解と不正解の間に何段階にも分かれていることに意識したら、子供たちの顔がどんな表情であったら、受け入れているのか、まだ腑に落ちていないのか、感じることが出来ます。
多くの子供たちを長年見ていると、その場だけ正解することに価値を持っているときの表情と、理解することに楽しさを覚えてきた時との表情の差をキャッチ出来るようになります。
私たち指導者は、正解と不正解の間を受け入れる器を持ち、段階が上がったことを歓べる感性を磨かなければ、「自分は正しい」という我のもと、無意識に相手の能力は低いという固定観にはまります。
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