指導者が常にはまる間違いは、相手が自分を嫌っているのではないかと感じて、自分が相手を遠ざけてしまうのです。目の前にいる人間が、自分を嫌っていると思い、自分自身の表情をこわばらせていることには、気づかないのです。私たちが、人を受け入れるか受け入れないかは、そのような単純な表面的なことで決めてしまうことが、多いのです。この子は許せるが、この子は許せないと決めているのは、その子の性質がこちらにとって好ましく感じられないとき、無意識に相手を遠ざけようとするからなのです。
こちらが、相手の内実に目を向ければ、彼らの可能性を信じることが出来ます。彼らの可能性を信じた時、目の前の子供も、同様にこちらを受け入れることでしょう。そうして、はじめて相手は自分に心を開くこととなるでしょう。「あの子からはまったくやる気というものが感じられません」と講師から相談を受けた時、私はその講師が、相手を固定観念で捉えていることに気付いてもらうために苦労します。
悲しいことに、素直さを失う原因の多くは、自分の親から疑われてしまったことによるのです。「うちの子は、国語は苦手で、文章を読むことが嫌いです」とか「うちの子は、文章題が嫌いです」などと、安易に他人の前でその子が聞いているもかかわらず、いったりします。
小学校に上がったばかりの男の子に、国語の問題集を一回解かせてみて、正解しなかったとき「この子は国語が苦手です」などと決めて、他人の前で話すお母さんを、たくさん見ました。たった一回で相手の能力が低いと決めつけることは、たとえ親であっても、やるべきではないのです。立場が上になると、多くの人間がこのようにして、相手の能力を固定化してしまうのです。「私は頭が悪いから」とか「どうせできない」からと、努力はしないが、言い訳を言い続けるように子を作ってしまうでしょう。結果が出ることでしか、自分にはられたレッテルをはずすことは出来ないのです。少しくらい努力しても、認められることがなければ、「頭が悪い」と言っておいたほうが楽でしょう。そうして本当に手がつけられないほど、解らなくなってしまうのです。
子供たちが、塾に通い始めて彼らと心の糸を繋ぐまでには、彼らの反応を表面的に捉えないように意識し、じっくり観察できるように、ニュートラルであろうとします。そうすることがとても難しいことなのです。
人は、自分が人からどのように思われているかということから離れて、自分の行きたい方向に意志を向けるまでには、とても多くの条件が整った環境が必要です。いったん貼られたレッテルによって、子供たちは「どうせ」という「すてばち」な言葉を吐きながら常に周りから認められない欲求不満を抱いています。彼らは能力が低いからではなく、意志をそちらに向ける気がはじめから無いのです。
「君には出来る」とか褒めて育てるなど、表面をいくら飾ったとしても、彼らの内実が感じられていなければ、表面を飾る巧言令色では相手を、救うことはできないでしょう。
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