良い先生についての条件を上げるとするなら、私は真に子供の感性を受け取ることの出来る先生であったらと思います。子供たちが、心を遮断してしまうほとんどの状況を作っているのは、先生の側に問題があります。このように話すとほとんどの先生が、驚き、また信じられないという顔をします。実は、私自身がこのことを事実として受け止めるまでに、ものすごい年月をかけて腑に落としてきました。これまでもずっとこのことを、ニュースに書き続けてきました。この数年で、私自身の中も、どのような症例を観たとしても、一部の障害をもつ子供たち以外、彼らの能力は、生まれついて違うわけではなく、ほとんど変わらないと、自信を持ち迷わなくなりました。
私が講師と話をしていて、どうしてもかみ合わず、伝えるのに苦労するのは、子供たち自身の感性に自分をどこまで合わせることが出来るかです。多くの先生が、自分は数学が得意だから、とか、英語が得意だから人に教えられると思っているのです。そういう考えの先生は、自分がすべてをしゃべって、満足しているだけで、相手をほとんど観察していないのです。何もかも口で説明していきます。
けなげな子供たちは、先生の言うことを最初は聞いていますが、間違ったところだけを繰り返し指摘されるだけで、そこには建設的な人を導く姿勢はみじんもなく、「どうしてこんなことがわからないのか」という、人を見下した心が潜んでいるのです。しかし、当の本人はいたってまじめで、むしろ自分ほど熱心な先生はいないくらいの自負を持っていたりします。
「わからない」ということの本当の意味を理解することは、ものすごく難しいことなのです。
あまりにも単純なことであれば、あるだけ、そんなことはわかって当然だと考えて、伝える順序や、伝える方法を失敗することがいかに多いことでしょう。自分がわかってしまったことほど、人に伝える時には、大柄になって、理解して当然だと思い込むのです。そして、理解を得られないループを延々に繰り返し、揚句、相手は無能だと決めつけるのです。例えば、数直線上の正負の数の大きさをはっきりと認識できていないことが原因であるのに、必死で計算問題を解かせ続けて、強烈な時間を使ったり、角度の大きさがわかっていないのに、問題をたくさん解かせたりします。幼児期に数と、量を認識するような感性を養わないうちに、プリントでいきなり問題を解かせていくため、九九のように足し算を覚えてしまうという重大なミスも、すべて、大人のエゴからはじまっているにもかかわらず、問題とされていません。
このような環境にはまってしまった子供たちは、不幸にも正解を得るための丸暗記思考へと追い込まれてしまいます。彼らが社会に出た時には、一見理論武装された完璧な意見を述べたとしても、そこには人のことを考えない自分勝手な損得勘定のみの亡者思考がはびこり、いずれは社会から消し去られるか、自ら社会に合わしきれないために、鬱へと陥っていくのではないかと思えてなりません。
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