子供たちと接していると、人間が知識として得たことを、実際に使うということは、実に難しいことだと教えられます。私はこの仕事に就くまでは、人が知識として得たものは、そのまま使えて当然であると思っていたのかも知れません。それくらい、人が勉強して得た知識を実際に使えるとは、どういうことか考えたことがなかったように思います。無意識に、知識を獲得し、あたかもその後、それを使いこなしていると勘違いしていたのでしょう。
あるとき、銀行の担当と話をしていて興味深い話を聞きました。かれは四十代になったばかりの中堅銀行マンです。彼いわく、「自分たちが若い頃は、外回り、窓口などの、内勤業務を一通り経験していくことが普通であったが、今はいきなり担当部門に配属されるようになってきている。確かにそれなりの資格をもっていたりするのであるが、話がかみ合わないままである」とぼやいていました。大学で専門の勉強をしてきたとしても、実際、現場でその知識を使うことはほとんどないし、技術を磨くためには、それなりの経験を積まなければ難しいでしょう。この中堅銀行マンがぼやいているように、いくら専門知識をたくさん詰め込んできても、その部門と関連した部署がどんな働きをしているかを知らずして、役に立つはずがないことは、明らかなことのように思います。自分がある機能の一部として役立つためには、全体の中の個であるイメージをつかんでいないと難しいはずです。今、自分が携わっている物事を、役に立つ仕事にするためには、はっきりとした全体のイメージを描く必要があるのです。しかし、その全体像をつかむには、最初はこの銀行マンのように、全体が見えていなくても外回りを経験し、内勤の仕事を一通り経験して、銀行全体の機能を捕らえられるまでには、長い時間がかかってしまうでしょう。今はそれだけの経験を積ませるよりは、即戦力になるように、その部門にいきなりいれて、すぐに役に立つ人間を育てようとしているのかもしれません。またそれだけ辛抱強い人間が少ないこともありますが、私がこれまでずっとこのニュースでお伝えしてきたように、各部門を担当したとしても、一つ一つを関連づけて全体像を把握する必要があることを伝えようとするリーダーが不足しているし、それが原因であることも、気づけていないように思います。
人が獲得した知識を使えるようになるには、全体を鳥瞰(でょうかん)でとらえ、徐々に細かいところに、集中していくことが必要なのです。これは、現在の日本の教育現場で、気づけていない盲点だと思います。全体像を大きく捉らえ、そしてどこへ向かうかを、別の方向から分割してみていく必要があります。いきなり細かく細分された一部だけを見たとき、ほとんどの人間が、全く違う捉らえ方をしているために、見解がずれてしまっていることに気づきません。
これは、分度器の角度を、位置だととらえて、三十度と百五十度の区別が付かないとか、時計も針の位置をよむことで、時間経過だと認識できていないために、十分過ぎや、十分前が分からないのと同じなのです。
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