物事を解決する人間と、問題を作り出す人間とでは、根本的にどう違うかと考えた時、解決する人間は問題を分けて考える事が出来る人間ではないかと思います。どんな仕事を与えられても、出来る人間はそこに流れる法則性に気づいて問題を分けて考えることが出来ているため、事例に応じた解決策を見つけ出すことが容易に出来るはずです。「分かる」とは「分けて考えられる」ことです。
例えば、学校で分数の計算を習う順番は、足し算、引き算、掛け算、割り算のというように出てきます。分数を難しいと考える子どもは、計算方法が混ざってしまっていました。ほとんどの場合、通分や約分の仕方があいまいであったりします。彼らに、足し算や掛け算を混ぜて問題をやってもらうと、足し算の問題なのに掛け算したり、掛け算の問題なのに分母も分子も足してしまったりします。
足し算の問題だけをたくさん解いている時には、足し算を解いていると考えていないし、掛け算の問題だけをたくさん解いている時には、掛け算を解いているとは考えていないのです。そのため問題を混ぜた時には、どれが足し算で、どれが掛け算か分けることも出来ないし、やり方も混ざってしまいます。
この問題を出来る限りすばやく解決する方法は、分数の約分や通分における要素となる最小公倍数や最大公約数の練習を行った後は、スピーディーに分数の四則を一度に教え、混ざった問題による練習を繰り返すことです。この時、彼らが「分ける」力を発揮しようとすることを、助ける必要があります。教え込もうとすれば、気づくことはありません。子供たちが、自ら気づくタイミングを引き出すのです。またここでの注意点は、簡単な問題だけでなく、複雑な問題まで解くことです。法則性に気づくためには、できる限りバラエティーにとんだ実例が必要なのです。
さて、私たちがここでお伝えしている解決方法を思いつくまでに、とても長い時間がかかりました。それは、前回お伝えした通り、指導者の側が子どもが物事を附に落とす段階を分けて考える事が出来なかったからです。
ほとんどの指導者が、分数の解き方が混ざってしまった子どもを見たとき、簡単なものから、足し算だけとか掛け算だけ練習したあと、最後に四則を混ぜたテストをするでしょう。たぶんその時は、少しのミスを伴って一応解けるようになったように見えます。しかし、しばらくたってまたテストをした時、以前と同じ状態になっていることに唖然とするでしょう。
こんな時、指導者は心の中で思うはずです。「また、忘れてしまった」とか「練習が足らない」と。指導する側の姿勢がずれていると考えられる指導者は、皆無なのではないかと思います。
そうして考えると、子供たちがある時、突然目覚めたように理解を得た瞬間というのは、彼らが、自転車に乗るための、今どの段階であるのかを、見極める力のある指導者が、子どもの能力を信じて、「分けて考えられる」力を引き出そうとした時なのです。
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