人が多くの物事に流れる法則の存在に気づいてそれを別の事に使うためには、起きている事象がどんな事態であるのかを、分けて考えられることが必要です。私たちが、塾で子供たちを指導するとき意識しなければならないことは、子供たちが今どの状態であるのか段階を分けなければいけません。
たとえば、自転車に乗る訓練を考えると、最初は補助輪をつけて練習していた子供も、補助輪をはずした後は何度も何度も転びながら、突然乗れる感覚を身につけます。激しく転んだかからと言って、もう一度補助輪をつけて乗れるようになったという話は聞いたことがありません。ほとんどの場合、できるだけ早い段階で体が覚えるまで、実地の練習を繰り返して、いきなり乗れる感覚をつかむはずです。
人が法則をつかむタイミングも同じで、スピーディーにその目標とするところまで進んで、実地の練習の繰り返しから、ある時、突然知りたいと願ったことが腑に落ちるタイミングがあるのです。自転車に乗れる直前は、補助輪をつけていた時と同じで、まだ乗れてはいない事実には変わりはないのです。乗れるか乗れないかという事実だけをいえば、乗れないということになりますが、私たちリーダーは、この子は、今「自転車に乗れるタイミングを待っている子」なのか「今から補助輪をはずす子」なのかを分けることを、常に間違えるのです。なぜならテストの結果だけで判断するからです。
細かく細分化された基本訓練をすることを、強烈にやって目の前のテストを正解にすることを目的にすると、驚くほどの記憶容量を使うことが出来るようになります。その記憶容量は驚くほどのものです。たとえば、家から学校までの道を覚えたとします。家から友達数人の家までの道順も覚えたとして、しばらくは家からは目的地に到着できても、途中で別の目的地に向かうことはできません。
ところがある時、まったく別の目的地へ向かおうとした時、その全体の地理がわかったりすることがあるでしょう。私たちは、最初、彼らが記憶して何かの問題を解こうとしていることを、「まだ自転車に乗ることの出来ない子」と捉えてしまった時、もう一度補助輪を付ける訓練を繰り返したら、せっかくまわりの風景が見えてきたのに、自分から全体像をつかみ取ろうとする機会を奪ってしまうのです。
私たち指導者は、子供たちが今どの段階であるかを分けて、どれだけ違う風景を見せることが出来るかを考える必要があるのです。そして違う風景について、相手が自分で繋ぐ時間を作るのです。多くの指導者がここで、相手の段階を上げるのではなく、もっと基本に戻すか、スピードをゆっくりにして、相手の能力を引き出すことが出来ないのです。
自転車に乗れるタイミングの直前は、スピードはもっと早く、厳しい訓練に変えて集中させる必要があります。
結果として、足し算や引き算を暗記させてしまうほど訓練することは、子供たちに常に補助輪を付けて、周りの風景の素晴らしさに気づくタイミングを奪ってしまうのです。
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