子どもたちの能力に差が無いとすれば、どこに差があるのかとすれば、当然、教える側に差があるはずです。
解決方法の一番でお伝えしたように、何を伝えるかの目的をもって伝えるかを決めていなければ、相手に伝わるはずがありません。しかし、もっとも大きな解決方法であり、もっとも難しい問題点は、伝える側が無意識に相手の能力を疑っている気持ちに気づくことが出来ないことです。
どんなに、子どもたちの能力に差が無いと信じようとしても、実際にとんでもない状態の子どもを見たとき、ほとんどの先生が、相手のせいにしてしまうのです。自分はこう言ったのに、相手はそのように動かない。だから相手が悪いんだと思い続けます。相手を固定観念で観たとき、その固定観念のままの子どもになるという、事実をお伝えすることは非常に難しいことです。
例えば、最初に担当する講師の先生に「この子は、理論的に物事を捉えることが出来る子です」と、前もってその子の状況を伝えたとします。すると、その先生はこの子は、理論的な頭の良い子だと見て授業します。すると、途中で止まっているのは、理論が組み立てられていなくて止まっているのだと考えて、説明のしかたを、自分自身が修正しようとするはずです。
その逆に「この子は、理解するのに時間がかかるので、じっくり教えてください」と伝えたとします。同じようにじっくりと説明するはずですが、このとき、後者の先生は、理解しないのは、自分ではなく、相手の能力のせいであると思うでしょう。そして何度説明しても理解不能な相手と決め込むでしょう。期待感をもって、目の前の先生が自分のために必死になっている姿こそが、子どもたちの素直な性質を成長させるカギなのです。
相手に対する期待感を持っているのかいないのかは、自分自身にされたとき、明らかに違うのに、自分がいざ上に立つと、平気で固定観念を持って、諦めてしまいます。
授業が上手くいかなかったと感じるときは、自分自身の固定観念との戦いであるということにすら、気づけていない場合のほうが大半なのです。
固定観念の打破が必要だと気づいてからも、うまくいかなければ、見事に相手を信じていない自分自身と向き合うことになるのです。そうして目の前で、心を遮断した子どもと向き合うはめに陥ります。
少しくらいの言葉を飾ったとしても、そんなことでは通じないほど、子どもたちは、敏感に自分自身を受け入れていない相手を見抜きます。そこには、人間としての嘘の姿が見え隠れしていることは明らかなのでしょう。
教室に子どもたちをつれて来られるお母さんが、自分の子どもを疑っている姿をみると、とても悲しいことだと感じます。小学校の六年生くらいまでは、お母さんが喜んでくれるために、勉強している子がほとんどなのです。好きな相手から疑われることの悲しさを、どうか理解してほしいと思います。
愛する相手が自分を信じてくれていると心から感じた子どもは、自らも律することが出来るのです。
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