人に何かを教えようとした時、テストをし、レベルをチェックするのは当たり前のことだと誰でも思うはずです。そのレベルに応じてどうしなければいけないか決めて指導するはずだし、テストが出来ていなければ、ほとんどの場合、その人間は教えても出来ないと決めてしまいます。
しかし、人間は自分の目の前にいる相手が、自分をどう思っているかということを、誰でも気づくことが出来ます。自分を心から信じて支えようとする相手の心に答えたいという素直な心が育まれたとき、子供たちは、閉ざした心を開き、驚くほどの能力を発揮したりします。
私は、過去、相手の能力を疑い、出来ないと決めて、一から十まで、教え込まなければと思い込んでいたのです。そして、結局自分からは何も動かず、何も気づこうとしない子供たちを創ってきました。そうしていながら、子供たちの能力に差は無いといい続けてきたのです。この矛盾に気づくまで、多くの生徒に出会い、私自身の心のずれを修正できずに来たのです。本当に相手の能力を信じているのであれば、彼らが自分で動くことを信じることが出来たと思います。相手が動かないのは、自分自身の心に驕った心が存在していたからなのです。
何かを伝えようとしたとき、伝える側が、心を開いたとき、必ず相手は閉ざした心を開き、素直になって吸収することが出来るはずです。一度でも心から愛してもらった経験のある人間は、自らも別の人間に同じ愛の心で接することができるはずです。マザーアップズのロゴに、描かれているように、子供たちの素直な心を育むことが、彼らが生きていくために絶対に必要なことなのです。自分にとって耳の痛いことであっても、聞く耳のある人間こそが、素直な人間なのです。
自分の損得に関わるアドバイスにしか、耳を貸すことが出来ない人間が、社会で人の役に立つことが出来るはずもありません。ほとんどの子供が、本当に人から愛されたことが無いのです。成績が上がらなければ、物を買ってもらえないとか、物を取り上げられるとか、好きなことを禁止されるとか、取引による強制をされているなどという論外な、人間関係を普通に強いられていたりします。
講師が心から生徒のことを思ったとき、少しくらいの厳しさに、答えようとする姿勢が生まれます。どんなにカリキュラムが充実していても、どんなに、すばらしい問題集を使っても、講師が子供の能力を疑ったとき、相手は自らの能力を、出そうとすることはありません。教える技術をチェックされたり、自分の能力を試されているという恐怖心や、ここまで教え込まなければという自己満足は、ただそこに存在しているというだけで、子供達に何も伝えることは出来ないし、お互いに虚無感だけを覚えることでしょう。
私が理想とするすばらしい塾とは、そこに集う講師自身が、子供たちを通して自らが清廉で、彼らの能力を引き出すことに楽しさを覚えるようなリーダーに育つことの出来る聖域であることです。
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